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創作日記

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俗世間の教え

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俗世間の教え


DQ10のうちのチームの初期スローガンには

『強き者は弱き者を助け、弱き者はもっと弱き者を助ける』

と記されていました。

うんうん、人によってレベルに差が出ますからねー。とってもいい言葉です。



神奈川で痛ましい事件が起こりましたね。
加害者は弱い者にしか向かいませんでした。自分より、強い者を無差別に殺したりはしませんでした。

そう。それが現実。

「弱い者は弱い者を害し、もっと弱い者はそれより弱い者を害する」のですね。

それが世間であり社会の一面です。日本は特にこの兆候があります。


擁護する気はまったくありませんが、加害者もだいぶ強者からいじめられてきた弱い者なのでしょう。(強者というのは時には人ではなく、環境や社会だったりもしますが)

私は個人的に、悪口を言った人や誰かをいじめた人には、「その負の感情は別のところからその人に還る」と思っているんですが、今回の場合、加害者が死んでしまっているので本人には還りませんね。
(見えないところで還るのかもしれませんが、たぶん誰も納得できないし、恨みや哀しみだけが世界に残ってしまうのでしょう)


しかし、私はその弱い者に対して「もっと強くなれ」とは言えないです。
その人が考える、強さや正義がなんだかわからないし、「そのままのあなたでいいよ」という状態を否定してしまうからです。

昔、学校(義務教育)では、
「いじめはよくない」と「なんでいじめはいけないのか」
ということについて、教えてもらいました。
しかし、(少なくとも私の時代は)、それ以上のことは教えてもらえませんでした。

いじめられたときの対処法とか。(親を含め、どうするか)
いじめられたことで誘発される自身の攻撃性をどう抑えるか(※人によって違います。私は本を読むのが良いかと)とか。
何も失うものがない=「無敵の人」にならないためには、どうすればいいのか。等。

かくいう自分も、仮に「無敵の人」になったら、どうしたらいいのか……

あ。
有り金はたいて、ウユニ塩湖行って、星空見ます。(今、思いついた)



と。……いざ、どうするか、と現実の怖さを想像しておくのは、大事だと思うんです。
子供の頃は、全て失った自分、なんて想像できないでしょうからね。
そうならないために、どうするかを考えるきっかけにはなるかなと思うんですよ。

(ただ、昨今の学校教育はほんとに現場が忙しいらしいので、こういうことは家庭教育になるんでしょうかねー。ちな、DQは現代の教科書と私は思ってますw)




最初の連鎖の話に戻りますが。

私は子供の頃、「どうして人に親切にするのか」というのがわからなかったんです。
あるいは社会をよくするために、いいことをすることに、何の意義があるのか。自己満足が目的なら、(人から誉められたいと思わないので、)別に必要ない──と。(嫌な子どもですみませんでした;;)

大人と言える年(自分は大人になれたとは思っていない)になって、やっとわかりました。


連鎖には正と負があります。
人は、優しくされたら、他の人にも優しくできます。これが正。
逆にいじめられたら、もっと弱い者をいじめます。これが負。

この連鎖は、続けばだんだんと威力が強くなります。たぶん。

なので、些細なことでも「最初に誰が何をしたか」というのが大事なんです。

何の地位もない権力も影響力も無い、一般の人が。
小さな優しさを最初に始めただけで、正の連鎖が繋がっていく。

もちろん、どこかで負の連鎖も発生してしまうでしょう。でも、それを失くしてしまえるくらい正の連鎖がたくさんあるといい。


だから、「最初に」「私が」「人に優しくする」というのは、とても意味があるんですね。
もう、本心からじゃなくても偽善でもいいです。(苦笑) とにかく、最初にいいこと、他人が喜ぶことをするんです。私がバトンちゃんの一番手(DQ10)なのです。(笑)


「人に親切にしましょう」。
世間は昔から、正しいこともたまには言ってたんだなぁと、わかった次第です。





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